セミナー情報

2024.07.20

神仙郷・ガーデンセミナー開催 ─ 日本庭園の第一人者・本中眞氏を招いて

7月20日、神仙郷内の日光殿で「第2回神仙郷・ガーデンセミナー」(主催・名勝神仙郷活用実行委員会)を開催しました。講師に日本の文化財や景観研究の第一人者で、名勝「神仙郷」保存活用委員でもある本中眞(独)国立文化財機構奈良文化財研究所所長(元文化庁主任文化財調査官)をお招きし、地元の箱根町民をはじめ神仙郷や庭園に関心を持つ150人余りが聴講しました。
「近・現代の日本庭園と神仙郷」をテーマに講演した本中所長は、まず明治期以降から第2次世界大戦前後までを「近代」と位置付けて、その間に造られた日本庭園の特質の「区分」と「評価の視点」を、文化庁の「近代の庭園・公園等に関する調査研究報告書」に基づいて解説。「区分」としては「地方の地主・資産家等の庭園」「芸術家・学者等の庭園」「皇室の庭園」など10項目を紹介しました。

近代庭園の分類と評価 ─ 各地の名園に見る歴史と特徴

 「評価の視点」については①当初の構成要素を継承し、作庭後における重要な変遷の過程を示している②庭園史上における時代的特質を表し、それらの資料が残されている③地域性の観点から特質を有している─の3点と説明しました。
近代庭園の具体例として、京都市の岡崎・南禅寺地域の庭園、明治期の代表的作庭家・七代目小川治兵衛の作品である平安神宮神苑、無鄰菴庭園、對龍山荘庭園(いずれも名勝)などを挙げ、それぞれ作庭の年代や経緯、特徴などに触れ、共通点として、東山を借景とし、人工水路である琵琶湖疏水を引き込んで滝や池などに活用していると話されました。
また、江戸時代末期から昭和初期にかけ、青森県津軽地方に広がった庭園様式・大石武学流による庭園として、清藤氏書院庭園、金平成園、瑞楽園、盛美園(いずれも名勝)を紹介。特に金平成園は、東北地方に凶作・不作が続いた明治15年頃、政治家で実業家の加藤宇兵衛が、飢饉などで疲弊した庶民の失業対策事業の一環で20年の歳月をかけて造園したもので、万民にお金が行き渡り、平和な世の中になることへの願いが込められていると話されました。
現代の庭園としては、作庭家・重森三玲による、京都府京都市の名勝・東福寺本坊庭園、大阪府岸和田市の名勝・岸和田城庭園(八陣の庭)を伝えた他、近・現代の庭園の数々を紹介いただきました。

神仙郷の特異性と未来への継承 ─ 岡田茂吉の理念と地域に開かれた庭園の意義

近・現代の日本庭園の中で、神仙郷がどのような位置にあるのかについて本中所長は、神仙郷は、箱根強羅の独特な立地条件を最大限に生かした庭園であり、縦横に巡らされた園路の随所で変化に富んだ風景が望める、独特の景観構成を持つことを解説されました。前述した文化庁の特質区分に照らすと「岡田茂吉という文化人」の作品として「芸術家・学者等の庭園」に属し「岡田茂吉という奇才による固有の発想に基づく庭園」だと述べられ、箱根美術館の存在から「公共施設・公開施設・学校・会社・工場等の庭園」の区分にも該当すると述べ、個人が造り、個人が所有して、個人が楽しむためのものとなってきた庭園を多くの人に開くべきと考えたのが、岡田茂吉氏であったと話されました。
また、神仙郷は、作庭当初の地形・風物・建物といった構成要素がそのまま保たれ、残された文献通りに再現されつつあるとして、それらは重要な変遷の過程を表す証拠だと述べられ、庭外の風景の展望が大きく捉えられ、芝に覆われた傾斜面や広場の存在は、近・現代の庭園に共通する時代的特質だと解説されるとともに、箱根に固有の火山地形などを最大限に生かした地域の個性を踏まえた庭園でもあると話されました。
岡田茂吉氏が箱根強羅に神仙郷を造営した目的は「地上天国のひな型を造ること」であり、公園のように開かれた存在とすることで、その風致に触れる万人に幸せを感じてほしいとの願いが込められていると強調。その明主様のお気持ちが訪れる人にしっかりと伝わり、理解されていくための活動が大切だと訴え、神仙郷の運営に携わる人だけでなく、まちづくりに関わる地域全体の人々にも理解され、来訪者にその本質が伝わっていくことを願って、講演を結びました。