セミナー情報
2024.10.12
戦後建築も含めた価値の再発見 ─ 神仙郷における建物と景観の融合
10月12日、神仙郷内の日光殿で「第3回神仙郷・ガーデンセミナー」(主催・名勝神仙郷活用実行委員会)を開催しました。日本の近代建築史や近代住宅史の研究家で、名勝「神仙郷」保存活用委員でもある内田青藏神奈川大学特任教授に講演いただき、神仙郷や日本の建築に関心を持つ70人余りが聴講しました。
「神仙郷の建物たちの価値とその魅力について」と題して講演した内田特任教授は、文化庁が近年、古い建築物にとどまらず、戦後のものについても文化的な価値の調査を進めていることを伝えながら、戦前と戦後の建物が入り交じって美しい景観を展開している神仙郷の建築物に、強く価値を感じていると話されました。
神仙郷内には幾つも建物があるに関わらず、庭園とのミスマッチを感じないのは、高低差を巧みに生かした配置と庭園との見事な融合によるものと述べられ、庭園や周りの自然環境を意識した建物配置は大きな魅力であり、世界的にもまれな場と評価されました。
また、建物は生活を維持するためだけでなく、人と自然を一体化させ、自然の美しさを伝える装置でもあると述べられ、神仙郷の建物にはそうした人と自然を結ぶ意図を明確に感じるとも話されました。
建築群の系譜と創造性 ─ 設計者ごとの神仙郷建築の魅力
神仙郷の建物については、設計の上で①「建築家が関わったもの」(観山亭・日光殿・山月庵)②「岡田茂吉自身がかかわったもの」(箱根美術館・同休憩所・同別館)③「設計者不明のもの」(神山荘・萩の家・花月亭)の3つに分類できると解説されました。
まず神山荘については、実業家・藤山雷太氏の別邸として建築され、設計者は不明であることや、平成13年の文化財登録時点では、昭和10年頃と思われていた竣工年について、その後の調査で藤山氏が強羅に別荘を構えたのが大正10年頃だったことが分かったとして、今後は竣工年を変更する可能性があると話されました。
一つの建物でありながら和風と洋風の建物で構成される神山荘は、西洋文化が入ってきた明治期の日本における上流層の住まいの形式を踏襲していると解説され、傾斜面に建てられ、建物内の一部では自然の岩を加工して階段に用いるなど、非常に難しい課題を解決している住宅だと説明されました。ここを起点に地上天国のひな型づくりを始めたことにも触れると、神山荘は単なる建物ではなく、自然と一体化した伝統的な美意識を感じさせる魅力的な建築だと語られました。
観山亭と日光殿の設計を手掛けた建築家・吉田五十八氏について、江戸時代に完成した数寄屋建築の近代化に取り組み、見た目がシンプルなものへと発展させた功績などを紹介すると、昭和21年に竣工し、同22年に湯殿、同25年に竹の間と書斎が増築された観山亭に言及され、岡田茂吉氏が設計した居間は、明快な美意識を持ってつくられた空間であると話されました。吉田氏の設計による竹の間と書斎に触れ、見た目のシンプルさの反面、非常に手間の掛かる処理が施されていると述べ、岡田茂吉氏は吉田氏の伝統の枠を超えた新しい建築デザインを評価して、神仙郷の建物に応用したのだろうと語られました。
伝統と革新の象徴 ─ 山月庵と神仙郷建築の未来的価値
日光殿については、吉田氏の設計で昭和24年に竣工した後、それまでの建築制限の解除を受け、同26年に増築されました。内田篤人教授は、石楽園に通じる内玄関には、柱を壁の中に隠してシンプルに見せる吉田流の手法が表れていることや、床の間は吉田流ながらも、伝統的な手法が重んじられていることを解説されました。
昭和25年竣工の山月庵については、岡田茂吉氏が建設を決意された経緯と共に、武者小路千家12代家元の助言で、数寄屋師・三代目木村清兵衛に設計を依頼しており、物資が乏しい中、京都の磨き丸太や屋久杉などの銘木を集めて建設されていることを紹介。進駐軍の占領下にあった当時、民主化の流れの中で過去は捨てるべきものとされ、和風の伝統文化の再建は困難な時代でもあった中で、あえて伝統を強く意識しつつ新しい時代に適応しようと、山月庵が建設されていると話されました。
最後に神仙郷の建物の特徴の総括では、多彩で豊かな自然とその眺望に恵まれた地で、病気や貧困、戦禍と無縁の真善美に満ちた理想郷、地上天国の具現化に取り組んだことを確認。芸術作品に触れることで人間は向上し、さまざまな苦難を解決する力にもつながるとして、建築はそのための装置でもあると強調。神仙郷の建築を通じ、単に伝統を守るだけでなく、時代の流れの中で変化していく日本の文化や美意識を感じさせると訴えて、講演を結びました。
続いて行われた質疑応答で内田特任教授は、神仙郷の建物ができた背景には、設計した建築家と腕の良い大工たちとの協働があったと話され、建築部材のプレ加工化が進み、腕の良い大工が減少している今では、もはや造ることができない建物が、神仙郷には存在していると話されました。
聴講者からは「専門家の視点で、一つ一つの建物がいかに魅力的で、文化的に価値があるかを解説いただき、神仙郷を見る目が変わりました」といった声が聞かれました。